混じりの文体の日記がその所々には混ぜられてある。身にしむ歌もあった。だれも他の絵のことは忘れて恍惚《こうこつ》となってしまった。圧巻はこれであると決まって左が勝ちになった。
明け方近くなって古い回想から湿った心持ちになった源氏は杯を取りながら帥《そつ》の宮に語った。
「私は子供の時代から学問を熱心にしていましたが、詩文の方面に進む傾向があると御覧になったのですか、院がこうおっしゃいました、文学というものは世間から重んぜられるせいか、そのほうのことを専門的にまでやる人の長寿と幸福を二つともそろって得ている人は少ない。不足のない身分は持っているのであるから、あながちに文学で名誉を得る必要はない。その心得でやらねばならないって。以来私に本格的な学問をいろいろとおさせになりましたが、できが悪い課目もなく、またすぐれた深い研究のできたこともありませんでした。絵を描くことだけは、それは大きいことではありませんが、満足のできるほど精神を集中させて描いて見たいという希望がおりおり起こったものですが、思いがけなく放浪者になりました時に、はじめて大自然の美しさにも接する機会を得まして、描くべき物は十分に与えられたのですが、技巧がまずくて、思いどおりの物を紙上に表現することはできませんでした。そんなものですからこれだけをお目にかけることは恥ずかしくていたされませんから、今度のような機会に持ち出しただけなのですが、私の行為が突飛《とっぴ》なように評されないかと心配しております」
「何の芸でも頭がなくては習えませんが、それでもどの芸にも皆師匠があって、導く道ができているものですから、深さ浅さは別問題として、師匠の真似《まね》をして一通りにやるだけのことはだれにもまずできるでしょう。ただ字を書くことと囲碁だけは芸を熱心に習ったとも思われない者からもひょっくりりっぱな書を書く者、碁の名人が出ているものの、やはり貴族の子の中からどんな芸も出抜けてできる人が出るように思われます。院が御自身の親王、内親王たちに皆何かの芸はお仕込みになったわけですが、その中でもあなたへは特別に御熱心に御教授あそばしましたし、熱心にもお習いになったのですから、詩文のほうはむろんごりっぱだし、そのほかでは琴《きん》をお弾《ひ》きになることが第一の芸で、次は横笛、琵琶《びわ》、十三|絃《げん》という順によくおできになる芸が
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