、どれだけ現代道徳の実行者であるか知れません。私が昨年の九州旅行で聞いた事ですが、布哇《ハワイ》や北米やその他へ出稼ぎしている彼地方の男女は、毎年尠からぬ額の金を郷里へ送って父母の慰安とし、弟妹の教育費に当てる者が多く、中には家倉を新築させ、田畑を買わしめる者さえあるといいます。もしそれらの男女が家族的制度の下に小さく固まって郷里に留《とどま》っていたら、果してそれだけの愛情を父母兄弟に寄せることが出来たでしょうか。
 思想の統一に至っては、茲《ここ》にも官僚教育者たちの画一主義が専制的な威圧を示しつつあることを私は怖れます。ウィルソンは巴里《パリイ》のソルボンヌ大学の演説で「大学の精神は自由にあり」という事を述べましたが、大学をすら官僚の牙営《がえい》に供して、その独立自由を確保しない我国の教育者は、人間の思想をも官営として一手専売を強《し》いようとするのです。しかし思想の何物であるかを知る人々にあっては、官僚は勿論、如何なる偉大な人格が強制的に統一しようとしても不可能である事を識別するであろうと思います。何が世の中で自由であるといっても、人間の心の内に起伏し流動する思想ほど自由なも
前へ 次へ
全21ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング