気《あぢき》なく鏡子には思はれるのであつた。先刻《さつき》から銀の針で目の横を一寸《ちよつと》刺されたなら、出ても好《い》いと言はれた涙は流れに流れて、あの恐しいものだつた海と同じ程にもなるだらうとそんな感じが鏡子にするのであつたが、その押《おさ》へて居ると云ふのは喜びに伴ふ悲哀でも何《な》[#ルビの「な」は底本では「なん」]んでもない、良人《をつと》と二人で子の傍へ帰つて来る事の出来なかつたのが明《あか》らままに悲しいのである。得難いものの様に思つて居た子を見る喜びと云ふものと楽々|目前《もくぜん》に近づいて居るのを思ふと、それはもう何程の価《あたひ》ある事とも鏡子には思へないのであらう。
『叔母さん。母《かあ》さん、もう新橋よ。』
と云つて、滿が母の傍へ来た。
『もう参りました。』
と清が云つた。
鏡子は滿が想像してた程大きくなつて居なかつた事が実は嬉しくてならなかつたのであつたが、瑞木と花木は其《その》割合よりも大きかつた。さうであるから悲しい涙が零《こぼ》れた。そして紫の銘仙の袷《あはせ》の下に緋の紋羽二重の綿入《わたいれ》の下着を着て、被布《ひふ》は着けずにマントを着た
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