ん。』
『さうですね。京都より好《い》い処《ところ》もありますね。』
 今度はお照が極く滅入《めい》つた調子である。
『歌舞伎座の案内を頼むのに好《い》い人があるのですがね、勤めの身ですからね、今日《けふ》はだめだらうと思ふのですよ。』
 かう微笑《ほゝえ》みながら云ふ英也が、自分のよく知らない良人《をつと》の若盛《わかざか》りと云ふものの影ではないかなどと鏡子は一寸《ちよつと》思ふ。
『私、あなたが飲んでいらつしやるのを見るとまた煙草《たばこ》が飲みたくてならなくなるのよ。』
 鏡子は英也の横顔を眺めながら云つた。
『お飲みになればいいぢやありませんか。』
 さう云つて英也はアイリスを一本火鉢にかざした叔母の指に持たせた。
『折角よしたのですからね。』
 と鏡子は云つて居た。此人は甥であつても年下であつても、もう思想がちやんと出来上つて居る人で、自身などを叔母、叔母と云ふだけが最善の事をして居ると思つて居るに違ひないのであると、こんな事を鏡子が思つて居るうちに煙草《たばこ》は皆|粉《こ》になつて灰の上に散つて居た。煙草《たばこ》に気が附いた時鏡子は好《い》い事をしたと思つた。廃《や》
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