』
女《むすめ》の顔を上から覗《のぞ》き込んで鏡子が云つた。
『ええ。』
瑞木は不安らしくかう云つたのである。大きい目には涙が溜《たま》つて居る。それを見ると鏡子も悲しくなつて来た。汽車から持つて出た氷を包んだタオルはこの時まだ大事さうに鏡子の手に持たれて居たので、指ににじむその雫《しづく》を冷《つめた》く思つたのは十月の末《すゑ》の日比谷の寂しい木立の中を車の進む時であつた。
『兄《にい》さん、お父《とう》様の帰る時は僕も神戸へ行くよ。』
『伴《つ》れて行つて上げるよ。』
『兄《にい》さんに伴《つ》れて行つて貰はないでも母《かあ》さんと行《ゆ》くのだよ。』
『ぢやあ行《ゆ》きなさいよ。僕なんかもうこれから君と一緒に学校へ行《ゆ》かない。何時《いつ》でも先行つちまふから好《い》い。』
『いやあ、兄《にい》さん。』
『およしなさいよ。ぎやあの大将。』
二番目の車に居る二人は三宅阪を曲《まが》る時にこんな争ひをして居た。麹町の通《とほり》から市ケ谷へ附いた新開の道を通る時、鏡子は立つ前の一月《ひとつき》程この道を通つて湯屋へ子供達を伴《つ》れて行く度に、やがて来る日の悲しさが思はれて
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