造に資するのは我々自身の自由であり、喜びであると思っている。
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学者や芸術家はその純粋を保とうとするほど、恐らく局限せられた実際社会の改造に指を染めてはなるまい。かの人たちも一面には我々と同じ現代の一人である以上現代を最も多く眼中に置くことは勿論であるが、現代のために永遠を犠牲にしてはならない。現代の改造に熱中すれば恐らく失敗するであろう。学者や芸術家がその純粋の自我を毀損《きそん》しないで現代の紛々たる俗争の間に立ち得るとはどうしても想われない。私はオイッケンのような学者やハウプトマンのような芸術家が今度の戦争の牽強《けんきょう》の弁疏《べんそ》を独逸《ドイツ》のためになさねばならなかったのを気の毒に思っている。そしてまた私はベルグソンがその哲学を仏蘭西《フランス》の政治問題や社会問題に直ちに適用しようとする様子のないということを聞いて大哲学者の聡明を奥ゆかしく想っている。
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学者や芸術家と異《ちが》って、政治家、教育家、社会改良家、新聞雑誌記者などの生活は、天才の新思想に刺戟《しげき》せられて常に驚異に全身を若返らせながら、自己の動《やや
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