或女は多数の男子に性欲観があって貞操観がないように、貞操ということを自己の生活の上にそれほど重大な問題であるとは考えず、極めて冷淡に取扱っているかも知れぬ。また或女は無情と酷薄とを極めた旧道徳に対する反感から殊更《ことさら》に貞操を眼中に置かないという風な矯激の思想を持っているかも知れぬ。
外から一律に万人へ覆《お》っ被《かぶ》せる無理な倫理に愛想をつかして、個人が内から思い思いに実際生活の要求に迫られて随時随処に建てる自然の倫理を推重《すいちょう》する私は、貞操についても先ず何より個人のその時時の自由な併せて聡明な実行に任せることを望む者である。
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私は特に「自由に併せて聡明な実行」という。真の生活は実行より外にない。そして実行は自由であると共に聡明でなくては失敗する。ここに「失敗する」というのは社会上の成功不成功をいうのでなくて、個人の生活意志の破滅することを言うのである。内省した自我の上に不充実と不満足との悔《くい》を招くに到ることを言うのである。
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既に貞操が婦人の生活の中枢生命であるとせられた時代は過ぎた。そして如何に質朴な民衆の
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