伝統的精神は現代人の言語であるところの口語に新訳することが出来ます。現に私たちは和漢の古文を読んだり、その講義を聴いたりする時、もとの古文のままでは受用していず、それを一々現代の言語に意訳して理解しています。日本人の古代精神がすべて『古事記』や『万葉集』の言語に依るのでなければ理解が出来ないというものでない限り、今日にもなお必要だと思う古代精神は、それを自由に現代の口語に新訳して教育すれば好いのです。古文を教えないという事は決して古代精神を教えないという事にはなりません。また古文の教育は大学その他の高等教育機関において特別に施しさえすれば決して反対論者の杞憂《きゆう》のように廃絶するものでないと思います。
第三に私の注意したい所は、現在の国語読本や修身読本に書かれている口語体が余りに悪文に満ちていることです。どの文章を取って見ても、これが現代語で書かれた立派な文章であると思われるものを発見しません。教科書の文章は必ずしも名文たることを要しないと思いますが、とにかく立派な現代文の標本であって欲しいと思います。果して現代の日本はこんなにみすぼらしい文章を以て標本とせねばならぬほどに文学の
前へ
次へ
全10ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング