か持っていないのです。教育者のこういう欠陥を補うためにも、多数の教育委員を家庭の父母から選挙して官選司法官に対する陪審司法官のように、教育者の協同責任者たらしめる必要があると思います。
 国民の参与を許さない教育であればこそ、今日までのように家庭の父母が学校教育に対して冷淡になっていますが、教育委員として各自治体の教育に参与する権利が多数の父母に容認される暁には、子女の教育に対する国民の自覚が俄《にわ》かに尖鋭となり、その権利を立派に行使するだけの実力が国民に備わって行くことを私は予断します。こういう風に国民の自発的要求に支持されてこそ初めて国民教育の意義を実現することが出来ると思います。只今のように、学校から父母に対して、時々の参観や学校に対する注意を形式的に求めているに過ぎない間は、決して教育は国民化せず、官僚任せの孤立的教育に停滞するのはやむをえないことだと思います。
 第二に私の希望する改造は、小学及び中学程度の学校における国語科の一大整理です。誰にも気が附く通り、只今の学科の配置では国語が余りに多くの時間を占めています。私は国語を愛重することにおいて、詩人として何人にも譲らな
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