裁断に屈従した教育です。国民は全くその子女が如何なる理想と手段とに依って教育されているかを知りません。国民に依って討議され承認された教育ではないのです。現に子女を持った家庭の父母にして、その子女が小学初め中学程度の学校において何を学びつつあるかを明確に認識している者が幾人あるでしょうか。彼らはその子女のために最も大切な二つの教育、即ち家庭教育と学校教育とを如何に協同し統一せしむべきかを知らないのは勿論、学校教育に対してその是非を批判する材料さえ持っていないのです。これがどうして国民教育の名に値する教育と呼ぶことが出来ましょう。教育が国民から孤立していると私のいうのはこれがためです。
 学校教育は子女を教育の機械たらしめるものでなく、子女をしてその年頃に必要な一つの生活を創造せしめる事です。その生活は子女自身の生活ですが、教育者は現在の社会生活から得た知識と感情とを以て、それらの子女の生活を輔導し助成する用意がなくてはなりません。しかるに教育ばかりでなく、これまでの教育者もまた国民から孤立しているために、彼らが我国の司法官が非常識であるのと同じく、国民の実際生活について極めて貧弱な経験し
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