かに述べることはできない。古来から宇治十帖《うじじゅうじょう》は紫式部《むらさきしきぶ》の女《むすめ》の大弐《だいに》の三位《さんみ》の手になったといわれていた。徳川期の国学者は多くそれを否定した。私も昔はそうかと思わせられた。明治に久米邦武博士が或る謡曲雑誌に、源氏は数人の手になったものらしいと書かれた時に、久米氏は第一流の史学者であるが文学者ではないからと思い、私はそれを信じようとしなかった。新新訳にかかる数年前から私は源氏の作者が二人であることを知るようになった。前の作者の筆は藤《ふじ》のうら葉《は》で終り、すべてがめでたくなり、源氏が太上天皇に上《のぼ》った後のことは金色で塗りつぶしたのであったが、大胆な後の作者は衰運に向った源氏を書き出した。最愛の夫人|紫《むらさき》の上《うえ》の死もそれである。女三《にょさん》の宮《みや》の物の紛《まぎ》れもそれである。後の主人公|薫《かおる》大将の出生のために朱雀院《すざくいん》の御在院中の後宮のことが突然語り出され、帝の女三の宮内親王への御溺愛《ごできあい》によって、薫の宮を用意した小説の構成の巧みさは前者に越えている。
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