ろが昭和十年の春に私は良人を失った。一家を負ってなさねばならぬ用のふえたことは申すまでもない。また一方くずおれた心は歌を作る以外に力の出しようもないように思われた。その時までにできていたのは良人がすでに病床についていた頃にも書いた橋姫《はしひめ》の巻までであった。若菜《わかな》以後は清書もできていなかった。私は壁際に山積した新新訳の原稿を眺《なが》めるだけで二年をいたずらに過した。以前に大阪へ店を移された文淵堂主と京都で会したのはその頃であった。氏は初期の私の歌集以来引きつづいて私を庇護《ひご》してくれた人である。東京でまた店を開きたいという話を聞いて、私のできている新新訳『源氏物語』の話をし、そんなことが機縁《きえん》になって東京で氏の再起がかなえばよいと相談した。氏は喜んでくれた。そのために氏の信仰の深い観音へ礼参りさえもされた。二十八年の昔に拙《つたな》いものを書いて渡した私の成長を疑わなかったのである。いよいよ本が出るようになって私は滅罪《めつざい》の方法の許された神仏に合掌《がっしょう》した。
 私は源氏物語を前後二人の作者の手になったものと認めているが、その研究をここでこま
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