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 そもそも、その「女らしさ」という物の正体は何でしょう。我国では女子が外輪に歩くと「女らしくない」といって批難されます。また女子が活溌な遊戯でもすると「女らしくない」といって笑われます。そうすると、内輪に歩くということ、人形のように温順《おとな》しくしているということなどが「女らしさ」の一つの条件であることは確かです。しかし日本ではそう[#「そう」に傍点]でしょうけれども、欧米の女子は悉《ことごと》く外輪で歩いています。また我国でも多くの女学生が唯今は靴を穿《は》いて外輪に歩きます。また欧米では、戦後に一層女子の体育が盛んになり、女学生の帽や服装に男子と同じものを用いてまで、活溌な運動に適するように努力しています。そうして、それがために「女らしさ」を失ったという批難が欧米において起らないのを見ると、論者の有難がる「女らしさ」というものは、全人類に通用しない、日本人だけのものであるように思われますがどう[#「どう」に傍点]でしょうか。
 論者は、「男子のすることを女子がすると、女らしさを失う」というのですが、人間の活動に、男子のする事、女子のする事という風に、先天
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