いたい。その人たちのいわれるような結論は何を前提にして生じるのですか。一般の女子に中学程度の学校教育をすら授けないでいる日本において、また市町村会議員となる資格さえ女子に許していない日本において、どうして、男子と同等の教育とか職業とかいうことが軽々しく口にされるのですか。女子に対してまだ何事も男子と同等の自由を与えないで置いて、早くもその結果を否定するのは臆断も甚だしいではありませんか。
 それよりも、論者に対して、もっと肉迫して私の問いたいことは、女子が果して論者のいうような最上の価値を持った「女らしさ」というものを特有しているでしょうか。私にはそれが疑問です。
 論者は、「女らしさ」というものを、女子の性情の第一位に置き、その下にすべての性情を隷属させようとしています。女子に、どのような優れた多くの他の性情があっても、唯だ一つの「女らしさ」を欠けば、それがために人間的価値は零《ゼロ》となり、女子は独立した人格者でなくなるというのが論者の意見らしいのです。私は疑います、「女らしさ」というものが果してそんな[#「そんな」に傍点]に最高最善の標準として女子の人格を支配するものでしょうか。
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