が結婚の基礎になりますから、恋愛の対象を発見しない限り生殖生活から遠ざかる男女を生じるのも当然です。しかし男女交際の自由な新社会では、恋愛の対象を慎重に選択する機会も多く、実際の生殖生活から遠ざかる男女は極めて尠《すくな》いことであろうと想像します。
 社会にはまた、昔から、或種の活動に専心して、わざと家庭を作らない男女もあります。何事も個人の自由意志に任すべきものですから、そういう人たちに生殖生活を強要することも出来ません。その人たちは、家庭の楽み以上に、自己の専門的生活を評価しているのです。それでこそ、その人たちの人間性が完全に表現されもするのです。世界人類の中に、そういう人たちの貢献があるので、昔も今も、どれだけ文化行程の飛躍を示したか知れません。私は、人類の中にそう[#「そう」に傍点]いう人たちのまじっ[#「まじっ」に傍点]ていることを例外とせず、望ましい配剤として、肯定したいと思います。

       *

 以上は甚だ粗雑な考察ながら、私はこれによって、論者のいうような「女らしさ」というものが特に女子の上に存在しないということを突き詰めて知ることが出来ました。「女らしさ」
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