というものは、要するに私のいわゆる「人間性」に吸収し還元されてしまうものです。女子に特有して、女子を男子から分化し、女子のみの生活というものを基礎づける第一原理となり、最高の価値標準となるものでないことが明白になりました。「女らしさ」という言葉から解放されることは、女子が機械性から人間性に目覚めることです。人形から人間に帰ることです。もしこれを論者が「女子の中性化」と呼ぶなら、私たちはむしろそれを名誉として甘受しても好いと思います。
「女らしくない」という一語が、昔から、どれだけ女子の活動を圧制して来たか知れません。習慣というものは根強いもので、今でも「女らしくない」といわれると、一部の女子は蛇でも投げつけられたようにぎょっと[#「ぎょっと」に傍点]して身を縮めます。しかし現代の女子の大多数は最早「女らしくない」という言葉くらいに恐れません。それはもっと[#「もっと」に傍点]恐ろしい言葉のあることを直感しているからです。即ち「人間らしくない」という言葉に由って表現される人間性の破滅が、何よりも現代人に取って恐ろしいものであることを思わずにいられないからです。(一九二一年一月)
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