えた、フロツク・コオトを着てゐる男ですがね。御覧なさい。此処《ここ》に名刺[#「名刺」は底本では「名剌」]があります。Herr Stuffendpuff. ちつとは有名な男ですか? 成程《なるほど》ね、つまりその新聞や何かに議論を書いてゐる人間なんでせう。そいつの眼玉がこれぢやありませんか? そら、壁へ叩きつけても、容易な事ぢや破れませんや。驚いたでせう。二つともこの通り入れ眼ですよ。硝子細工《ガラスざいく》の入れ眼ですよ。

     疲労

 雨を孕《はら》んだ風の中に、竜騎兵の士官を乗せた、アラビア種《だね》の白馬《しろうま》が一頭、喘《あへ》ぎ喘ぎ走つて行つた。と思ふと銃声が五六発、続けさまに街道《かいだう》の寂寞《せきばく》を破つた。その時|白楊《ポプラア》の並木《なみき》の根がたに、尿《ねう》をしやんだ一頭の犬は、これも其処《そこ》へ来かかつた、仲間の尨犬《むくいぬ》に話しかけた。
「どうだい、あの白馬の疲れやうは?」
「莫迦《ばか》々々しいなあ。馬ばかりが獣《けもの》ぢやあるまいし、――」
「さうとも、僕等に乗つてくれれば、地球の極《はて》へも飛んで行《ゆ》くのだが、――」
 二匹の犬はかう云ふが早いか、竜騎兵の士官でも乗せてゐるやうに、昂然《かうぜん》と街道を走つて行つた。

     魔女

 魔女は箒《はうき》に跨《またが》りながら、片々《へんぺん》と空を飛んで行つた。
 それを見たものが三人あつた。
 一人《ひとり》は年をとつた月だつた。これは又かと云ふやうに、黙々と塔の上にかかつてゐた。
 もう一人は風見《かざみ》の鶏だつた。これはびつくりしたやうに、ぎいぎい桿《さを》の上に啼きまはつた。
 最後の一人は大学教授 Dundergutz 先生だつた。これはその後《ご》熱心に、魔女が空を飛んで行つたのは、箒が魔女を飛ばせたのか、魔女が箒を飛ばせたものか、どちらかと云ふ事を研究し出した。
 何《なん》でも先生は今日《こんにち》でも、やはり同じ大問題を研究し続けてゐるさうである。
 魔女は箒に跨りながら、昨夜《ゆうべ》も大きな蝙蝠《かうもり》のやうに、片々と空を飛んで行つた。

     遊び

 崖に臨んだ岩の隙《すき》には、一株の羊歯《しだ》が茂つてゐる。トムはその羊歯の葉の上に、さつきから一匹の大土蜘蛛《おほつちぐも》と、必死の格闘を続けてゐる
前へ 次へ
全7ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング