harisien が大勢ゐた。
中でも筆頭第一の Pharisien は井上典蔵と云ふ御徒士《おかち》である。これも亦《また》妙な男で、虱をとると必ず皆食つてしまふ。夕がた飯をすませると、茶呑茶碗を前に置いて、うまさうに何かぷつりぷつり噛んでんでゐるから、側へよつて茶碗の中を覗いて見ると、それが皆、とりためた虱である。「どんな味でござる?」と訊くと、「左様さ。油臭い、焼米のやうな味でござらう」と云ふ。虱を口でつぶす者は、何処にでもゐるが、この男はさうではない。全く点心《てんしん》を食ふ気で、毎日虱を食つてゐる。――これが先《まづ》、第一に森に反対した。
井上のやうに、虱を食ふ人間は、外に一人もゐないが、井上の反対説に加担をする者は可成《かなり》ゐる。この連中の云ひ分によると、虱がゐたからと云つて、人間の体は決して温まるものではない。それのみならず、孝経にも、身体髪膚之《しんたいはつぷこれ》を父母に受く、敢《あへ》て毀傷《きしやう》せざるは孝の始なりとある。自《みづから》、好んでその身体を、虱如きに食はせるのは、不孝も亦甚しい。だから、どうしても虱狩るべし。飼ふべからずと云ふのである
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