恤ユなく掻きたくなる。所が人間と云ふものはよくしたもので、痒い痒いと思つて掻いてゐる中に、自然と掻いた所が、熱を持つたやうに温くなつてくる。そこで温くなつてくれば、睡くなつて来る。睡くなつて来れば、痒いのもわからない。――かう云ふ調子で、虱さへ体に沢山ゐれば、睡《ね》つきもいいし、風もひかない。だからどうしても、虱飼ふべし、狩るべからずと云ふのである。……
「成程、そんなものでこざるかな。」同役の二三人は、森の虱論を聞いて、感心したやうに、かう云つた。

       三

 それから、その船の中では、森の真似をして、虱を飼ふ連中が出来て来た。この連中も、暇さへあれば、茶呑茶碗を持つて虱を追ひかけてゐる事は、外の仲間と別に変りがない。唯、ちがふのは、その取つた虱を、一々|刻銘《こくめい》に懐《ふところ》に入れて、大事に飼つて置く事だけである。
 しかし、何処《いづく》の国、何時の世でも、〔Pre'curseur〕 の説が、そのまま何人にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論にの説が、そのまま何人《なんぴと》にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論に反対する、P
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