ノ虱ばかり、さがして歩いた時の事を想像すると、今日では誰しも滑稽だと云ふ感じが先に立つが、「必要」の前に、一切の事が真面目になるのは、維新以前と雖《いへど》も、今と別に変りはない。――そこで、一船の裸侍は、それ自身が大きな虱のやうに、寒いのを我慢して、毎日根気よく、そこここと歩きながら、丹念に板の間の虱ばかりつぶしてゐた。

       二

 所が佃組の船に、妙な男が一人ゐた。これは森|権之進《ごんのしん》と云ふ中老のつむじ曲りで、身分は七十俵五人|扶持《ぶち》の御徒士《おかち》である。この男だけは不思議に、虱をとらない。とらないから、勿論、何処《どこ》と云はず、たかつてゐる。髷《まげ》ぶしへのぼつてゐる奴があるかと思ふと、袴腰のふちを渡つてゐる奴がある。それでも別段、気にかける容子《ようす》がない。
 ではこの男だけ、虱に食はれないのかと云ふと、又さうでもない。やはり外《ほか》の連中のやうに、体中|金銭斑々《きんせんはんはん》とでも形容したらよからうと思ふ程、所まだらに赤くなつてゐる。その上、当人がそれを掻いてゐる所を見ると、痒《かゆ》くない訳でもないらしい。が、痒くつても何でも
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