う言って笑い出した。そのうちに妻は僕等に追いつき、三人一列になって歩いて行った。僕等は妻の常談《じょうだん》を機会に前よりも元気に話し出した。
 僕はO君にゆうべの夢を話した。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運転手と話をしている夢だった。僕はその夢の中にも確かにこの運転手には会ったことがあると思っていた。が、どこで会ったものかは目の醒《さ》めた後もわからなかった。
「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」
「じゃ女の運転手だったの?」
「いや、勿論男なんだよ。顔だけは唯《ただ》その人になっているんだ。やっぱり一度見たものは頭のどこかに残っているのかな。」
「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、………」
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに反《かえ》って気味が悪いんだ。何だか意識の閾《しきい》の外にもいろんなものがあるような気がして、………」
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな。」
 僕はこんなことを話しながら、偶然僕等の顔だけははっきり見えるのを発見した。しかし星明りさ
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