には、丹波《たんば》の前司《ぜんじ》なにがしの殿が、あなた様に会はせて頂きたいとか申して居るさうでございます。前司はかたちも美しい上、心ばへも善いさうでございますし、前司の父も受領《ずりやう》とは申せ、近い上達部《かんだちめ》の子でもございますから、お会ひになつては如何《いかが》でございませう? かやうに心細い暮しをなさいますよりも、少しは益《ま》しかと存じますが。……」
姫君は忍び音《ね》に泣き初めた。その男に肌身を任せるのは、不如意な暮しを扶《たす》ける為に、体を売るのも同様だつた。勿論それも世の中には多いと云ふ事は承知してゐた。が、現在さうなつて見ると、悲しさは又格別だつた。姫君は乳母と向き合つた儘、葛《くず》の葉を吹き返す風の中に、何時までも袖を顔にしてゐた。……
二
しかし姫君は何時の間にか、夜毎に男と会ふやうになつた。男は乳母の言葉通りやさしい心の持ち主だつた。顔かたちもさすがにみやびてゐた。その上姫君の美しさに、何も彼《か》も忘れてゐる事は、殆《ほとんど》誰の目にも明らかだつた。姫君も勿論この男に、悪い心は持たなかつた。時には頼もしいと思ふ事もあつた
前へ
次へ
全15ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング