―姫君はさう思つてゐた。
 古い池に枝垂《しだ》れた桜は、年毎に乏しい花を開いた。その内に姫君も何時《いつ》の間にか、大人寂《おとなさ》びた美しさを具へ出した。が、頼みに思つた父は、年頃酒を過ごした為に、突然故人になつてしまつた。のみならず母も半年ほどの内に、返らない歎きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追つて行つた。姫君は悲しいと云ふよりも、途方に暮れずにはゐられなかつた。実際ふところ子の姫君にはたつた一人の乳母《うば》の外に、たよるものは何もないのだつた。
 乳母はけなげにも姫君の為に、骨身を惜まず働き続けた。が、家に持ち伝へた螺鈿《らでん》の手筥《てばこ》や白がねの香炉は、何時か一つづつ失はれて行つた。と同時に召使ひの男女も、誰からか暇をとり始めた。姫君にも暮らしの辛《つら》い事は、だんだんはつきりわかるやうになつた。しかしそれをどうする事も、姫君の力には及ばなかつた。姫君は寂しい屋形の対《たい》に、やはり昔と少しも変らず、琴を引いたり歌を詠《よ》んだり、単調な遊びを繰返してゐた。
 すると或秋の夕ぐれ、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。
「甥《をひ》の法師の頼みます
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