うな心もちであつた。
鹿の皮を剥ぎ終つた彼が、宮の中へ帰つたのは、もう薄暗い時分であつた。彼は広い階段《きざはし》を上ると、何時もの通り何気なく、大広間の戸口に垂れてゐる、白い帷《とばり》を掲げて見た。すると須世理姫と葦原醜男とが、まるで塒《ねぐら》を荒らされた、二羽の睦《むつま》じい小鳥のやうに、倉皇《さうくわう》と菅畳《すがだたみ》から身を起した。彼は苦い顔をしながら、のそのそ部屋の中へ歩を運んだが、やがて葦原醜男の顔へ、じろりと忌々《いまいま》しさうな視線をやると、
「お前は今夜此処へ泊つて、舟旅の疲れを休めて行くが好い。」と、半ば命令的な言葉をかけた。
葦原醜男は彼の言葉に、嬉しさうな会釈《ゑしやく》を返したが、それでもまだ何となく、間の悪げな気色《けしき》は隠せなかつた。
「ではすぐにあちらへ行つて、遠慮なく横になつてくれい。須世理姫――」
素戔嗚は娘を振り返ると、突然|嘲《あざけ》るやうな声を出した。
「この男を早速蜂の室《むろ》へつれて行つてやるが好い。」
須世理姫は一瞬間、色を失つたやうであつた。
「早くしないか!」
父親は彼女がためらふのを見ると、荒熊のやう
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