で》ばかりであつた。
十
葦原醜男はためらつた。すると側にゐた須世理姫が、何時の間に忍ばせて持つて来たか、一握りの椋《むく》の実と赤土とをそつと彼の手へ渡した。彼はそこで歯を鳴らして、その椋の実を噛みつぶしながら、赤土も一しよに口へ含んで、さも百足をとつてゐるらしく、床の上へ吐き出し始めた。
その内に素戔嗚は、昨夕《ゆうべ》寝なかつた疲れが出て、我知らずにうとうと眠にはひつた。
……高天原の国を逐《お》はれた素戔嗚は、爪を剥がれた足に岩を踏んで、嶮しい山路を登つてゐた。岩むらの羊歯《しだ》、鴉《からす》の声、それから冷たい鋼色《はがねいろ》の空、――彼の眼に入る限りの風物は、悉《ことごと》く荒涼それ自身であつた。
「おれに何の罪があるか? おれは彼等よりも強かつた。が、強かつた事は罪ではない。罪は寧《むし》ろ彼等にある。嫉妬心の深い、陰険な、男らしくもない彼等にある。」
彼はかう憤りながら、暫く苦しい歩みを続けて行つた。と、路を遮《さへぎ》つた、亀の背のやうな大岩の上に、六つの鈴のついてゐる、白銅鏡が一面のせてあつた。彼はその岩の前に足をとめると、何気なく鏡へ
前へ
次へ
全28ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング