ゐる暇に、二人の恋人は宮を抜け出て彼《か》の独木舟《まるきぶね》が繋《つな》いである、寂しい海辺の岩の間に、慌しい幸福を偸《ぬす》む事が出来た。須世理姫は香りの好い海草の上に横はりながら、暫くは唯夢のやうに、葦原醜男の顔を仰いでゐたが、やがて彼の腕を引き離すと、
「今夜も此処に御泊りなすつては、あなたの御命が危うございます。私の事なぞは御かまひなく、一刻も早く御逃げ下さいまし。」と、心配さうに促し立てた。
しかし葦原醜男は笑ひながら、子供のやうに首を振つて見せた。
「あなたが此処にゐる間は、殺されても此処を去らない心算《つもり》です。」
「それでもあなたの御体に、万一の事でもあつた日には――」
「ではすぐにも私と一しよに、この島を逃げてくれますか?」
須世理姫はためらつた。
「さもなければ私は何時までも、此処にゐる覚悟をきめてゐます。」
葦原醜男はもう一度、無理に彼女を抱きよせようとした。が、彼女は彼を突きのけると急に海草の上から身を起して、
「御父様が呼んでゐます。」と、気づかはしさうな声を出した。さうして咄嗟《とつさ》に岩の間を、若い鹿より身軽さうに、宮の方へ上つて行つた。
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