梵レ室へ姿を現した時、俊助はいつもより快活に、
「どうでした。初子さん。モデルになるような患者が見つかりましたか。」と声をかけた。
「ええ、御蔭様で。」
 初子は新田と俊助とに、等分の愛嬌《あいきょう》をふり撒《ま》きながら、
「ほんとうに私《わたし》ためになりましたわ。辰子さんもいらっしゃれば好《い》いのに。そりゃ可哀そうな人がいてよ。いつでも、御腹《おなか》に子供がいると思っているんですって。たった一人、隅の方へ坐って、子守唄《こもりうた》ばかり歌っているの。」

        二十九

 初子が辰子と話している間に、新田はちょいと俊助《しゅんすけ》の肩を叩くと、
「おい、君に一つ見せてやる物がある。」と云って、それから女たちの方へ向きながら、
「あなた方はここで、しばらく御休みになって下さい。今、御茶でも差上げますから。」
 俊助は新田の云う通り、おとなしくその後《あと》について、明るい応接室からうす暗い廊下《ろうか》へ出ると、今度はさっきと反対の方向にある、広い畳敷の病室へつれて行かれた。するとここにも向うと同じように、鼠《ねずみ》の棒縞を着た男の患者が、二十人近くもごろごろ
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