轣Aさっき下宿で辰子の話が出たにも関らず、何故今までこんな事を黙っていたのだろうと考えた。が、それは彼自身にも偶然か故意か、判断がつけられなかった。
二十
プラットフォオムの上には例のごとく、見送りの人影が群《むらが》っていた。そうしてそれが絶えず蠢《うごめ》いている上に、電燈のともった列車の窓が、一つずつ明《あかる》く切り抜かれていた。野村《のむら》もその窓から首を出して、外に立っている俊助《しゅんすけ》と、二言《ふたこと》三言《みこと》落着かない言葉を交換した。彼等は二人とも、周囲の群衆の気もちに影響されて、発車が待遠いような、待遠くないような、一種の慌《あわただ》しさを感じずにはいられなかった。殊に俊助は話が途切れると、ほとんど敵意があるような眼で、左右の人影を眺めながら、もどかしそうに下駄《げた》の底を鳴らしていた。
その内にやっと発車の電鈴《ベル》が響いた。
「じゃ行って来給え。」
俊助は鳥打帽の庇《ひさし》へ手をかけた。
「失敬、例の一件は何分よろしく願います。」と、野村はいつになく、改まった口調で挨拶した。
汽車はすぐに動き出した。俊助はいつま
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