ナもプラットフォオムに立って、次第に遠ざかって行く野村を見送るほど、感傷癖に囚われてはいなかった。だから彼はもう一度鳥打帽の庇へ手をかけると、未練なくあたりの人影に交って、入口の階段の方へ歩き出した。
が、その時、ふと彼の前を通りすぎる汽車の窓が眼にはいると、思いがけずそこには大井篤夫《おおいあつお》が、マントの肘《ひじ》を窓枠に靠《もた》せながら、手巾《ハンケチ》を振っているのが見えた。俊助は思わず足を止めた。と同時にさっき大井を見かけたと云う野村の言葉を思い出した。けれども大井は俊助の姿に気がつかなかったものと見えて、見る見る汽車の窓と共に遠くなりながらも、頻《しきり》に手巾《ハンケチ》を振り続けていた。俊助は狐《きつね》につままれたような気がして、茫然とその後を見送るよりほかはなかった。
が、この衝動《ショック》から恢復した時、俊助の心は何よりも、その手巾《ハンケチ》の閃きに応ずべき相手を物色するのに忙しかった。彼はインバネスの肩を聳かせて、前後左右に雪崩《なだ》れ出した見送り人の中へ視線を飛ばした。勿論彼の頭の中には、女づれのようだったと云う野村の言葉が残っていた。しかしそ
前へ
次へ
全105ページ中58ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング