々に眼をくばっていたが、やがてその眼がレオナルドのレダまで行くと、
「おや、あれは君、辰子《たつこ》さんに似ているじゃないか。」と、意外な方面へ談柄《だんぺい》を落した。
「そうかね。僕はそうとも思わないが。」
 俊助はこう答えながら、明かに嘘をついていると云う自覚があった。それは勿論彼にとって、面白くない自覚には相違なかった。が、同時にまた、小さな冒険をしているような愉快が潜《ひそ》んでいたのも事実だった。
「似ている。似ている。もう少し辰子さんが肥っていりゃ、あれにそっくりだ。」
 野村は近眼鏡の下からしばらくレダを仰いでいた後で、今度はその眼を桜草《さくらそう》の鉢へやると、腹の底から大きな息をついて、
「どうだ。年来の好誼《こうぎ》に免じて、一つ案内役を引き受けてくれないか。僕はもう君が行ってくれるものと思って、その旨を初子さんまで手紙で通知してしまったんだが。」
 俊助の舌の先には、「そりゃ君の勝手じゃないか」と云う言葉があった。が、その言葉がまだ口の外へ出ない内に、彼の頭の中へは刹那《せつな》の間、伏目になった辰子の姿が鮮かに浮び上って来た。と、ほとんどそれが相手に通じた
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