閧ワせん。」
俊助はただ微笑で野村に答えながら、もう一度辰子に声をかけて見た。
「お体は実際お悪いんですか。」
「ええ、心臓が少し――大した事はございませんけれど。」
するとさっきから退屈そうな顔をして、一同の顔を眺めていた民雄《たみお》が、下からぐいぐい俊助の手をひっぱって、
「辰子さんはね、あすこの梯子段《はしごだん》を上っても、息が切れるんだとさ。僕は二段ずつ一遍にとび上る事が出来るんだぜ。」
俊助は辰子と顔を見合せて、ようやく心置きのない微笑を交換した。
十一
辰子《たつこ》は蒼白い頬《ほお》に片靨《かたえくぼ》を寄せたまま、静に民雄《たみお》から初子《はつこ》へ眼を移して、
「民雄さんはそりゃお強いの。さっきもあの梯子段の手すりへ跨《またが》って、辷《すべ》り下りようとなさるんでしょう。私|吃驚《びっくり》して、墜《お》ちて死んだらどうなさるのって云ったら――ねえ、民雄さん。あなたあの時、僕はまだ死んだ事がないから、どうするかわからないって仰有《おっしゃ》ったわね。私|可笑《おか》しくって――」
「成程《なるほど》ね、こりゃ却々《なかなか》哲学的だ
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