ウんは初子さんの従妹《いとこ》でね、今度絵の学校へはいるものだから、それでこっちへ出て来る事になったんだ。所が毎日初子さんが例の小説の話ばかり聞かせるので、余程体にこたえるのだろう。どうもこの頃はちと健康が思わしくない。」
「まあ、ひどい。」
初子と辰子とは同時にこう云った。が、辰子の声は、初子のそれに気押《けお》されて、ほとんど聞えないほど低い声だった。けれども俊助は、この始めて聞いた辰子の声の中に、優しい心を裏切るものが潜んでいるような心もちがした。それが彼には心強い気を起させた。
「画と云うと――やはり洋画を御やりになるのですか。」
相手の声に勇気を得た俊助は、まだ初子と野村とが笑い合っている内に、こう辰子へ問いかけた。辰子はちょいと眼を帯止《おびど》めの翡翠《ひすい》へ落して、
「は。」と、思ったよりもはっきりした返事をした。
「画は却々《なかなか》うまい。優《ゆう》に初子さんの小説と対峙《たいじ》するに足るくらいだ。――だから、辰子さん。僕が好《い》い事を教えて上げましょう。これから初子さんが小説の話をしたら、あなたも盛に画の話をするんです。そうでもしなくっちゃ、体がたま
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