売っているうちに、もうかれこれ未《ひつじ》になる。お前さんも、もうわたしのおしゃべりには、聞き飽きたろう。」
 蛙股《かえるまた》の杖《つえ》は、こういうことばと共に動いた。
「が、沙金《しゃきん》は?」
 この時、太郎のくちびるは、目に見えぬほど、かすかにひきつった。が、老婆は、これに気がつかなかったらしい。
「おおかた、きょうあたりは、猪熊のわたしの家《うち》で、昼寝でもしているだろうよ。きのうまでは、家《うち》にいなかったがね。」
 片目は、じっと老婆を見た。そうして、それから、静かな声で、
「じゃ、いずれまた、日が暮れてから、会おう。」
「あいさ。それまでは、お前さんも、ゆっくり昼寝でもする事だよ。」
 猪熊《いのくま》のばばは、口達者に答えながら、杖《つえ》をひいて、歩きだした。綾小路《あやのこうじ》を東へ、猿《さる》のような帷子姿《かたびらすがた》が、藁草履《わらぞうり》の尻《しり》にほこりをあげて、日ざしにも恐れず、歩いてゆく。――それを見送った侍は、汗のにじんだ額に、険しい色を動かしながら、もう一度、柳の根につばを吐くと、それからおもむろに、くびすをめぐらした。
 二人
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