の別れたあとには、例の蛇《ながむし》の死骸《しがい》にたかった青蝿《あおばえ》が、相変わらず日の光の中に、かすかな羽音を伝えながら、立つかと思うと、止まっている。……
二
猪熊のばばは、黄ばんだ髪の根に、じっとりと汗をにじませながら、足にかかる夏のほこりも払わずに、杖をつきつき歩いてゆく。――
通い慣れた道ではあるが、自分が若かった昔にくらべれば、どこもかしこも、うそのような変わり方である。自分が、まだ台盤所《だいばんどころ》の婢女《みずし》をしていたころの事を思えば、――いや、思いがけない身分ちがいの男に、いどまれて、とうとう沙金《しゃきん》を生んだころの事を思えば、今の都は、名ばかりで、そのころのおもかげはほとんどない。昔は、牛車《ぎっしゃ》の行きかいのしげかった道も、今はいたずらにあざみの花が、さびしく日だまりに、咲いているばかり、倒れかかった板垣《いたがき》の中には、無花果《いちじゅく》が青い実をつけて、人を恐れない鴉《からす》の群れは、昼も水のない池につどっている。そうして、自分もいつか、髪が白《しら》みしわがよって、ついには腰のまがるような、老いの身に
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