ないか。されば、弟の妻《め》をぬすむおぬしもやはり、畜生じゃ。」
太郎は、再びこのおやじを殺さなかった事を後悔した。が、同時にまた、殺そうという気の起こる事を恐れもした。そこで、彼は、片目を火のようにひらめかせながら、黙って、席を蹴《け》って去ろうとする――すると、その後ろから、猪熊《いのくま》の爺《おじ》はまた、指をふりふり、罵詈《ばり》を浴びせかけた。
「おぬしは、今の話をほんとうだと思うか。あれは、みんなうそじゃ。ばばが昔なじみじゃというのも、うそなら、沙金がおばばに似ているというのもうそじゃ。よいか。あれは、みんなうそじゃ。が、とがめたくも、おぬしはとがめられまい。わしはうそつきじゃよ。畜生じゃよ。おぬしに殺されそくなった、人でなしじゃよ。………」
老人は、こう唾罵《だば》を飛ばしながら、おいおい、呂律《ろれつ》がまわらなくなって来た。が、なおも濁った目に懸命の憎悪《ぞうお》を集めながら、足を踏み鳴らして、意味のない事を叫びつづける。――太郎は、堪えがたい嫌悪《けんお》の情に襲われて、耳をおおうようにしながら、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》、猪熊《
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