、あぶない目に会わせてまで――」
こう言いながら、次郎は、しまったと思った。狡猾《こうかつ》な女はもちろん、この機会を見のがさない。
「一人やるのならいいの? なぜ?」
次郎は、女の手をはなして、立ち上がった。そうして、顔の色を変えたまま、黙って、沙金《しゃきん》の前を、右左に歩き出した。
「太郎さんを殺していいんなら、仲間なんぞ何人殺したって、いいでしょう。」
沙金は、下から次郎の顔を見上げながら、一句を射た。
「おばばはどうする?」
「死んだら、死んだ時の事だわ。」
次郎は、立ち止まって、沙金の顔を見おろした。女の目は、侮蔑《ぶべつ》と愛欲とに燃えて炭火のように熱を持っている。
「あなたのためなら、わたしたれを殺してもいい。」
このことばの中には、蝎《さそり》のように、人を刺すものがある。次郎は、再び一種の戦慄《せんりつ》を感じた。
「しかし、兄きは――」
「わたしは、親も捨てているのじゃない?」
こう言って、沙金は、目を落とすと、急に張りつめた顔の表情がゆるんで、焼け砂の上へ、日に光りながらはらはらと涙が落ちた。
「もうあいつに話してしまったのに、――今さら取り返しは
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