、上くちびるをべろりとなめて見せた。
「何か用でもおありか。」
「いや、別に用じゃない。」
片目は、うすいあばたのある顔に、しいて作ったらしい微笑をうかべながら、どこか無理のある声で、快活にこう言った。
「ただ、沙金《しゃきん》がこのごろは、どこにいるかと思ってな。」
「用のあるは、いつも娘ばかりさね。鳶《とび》が鷹《たか》を生んだおかげには。」
猪熊《いのくま》のばばは、いやみらしく、くちびるをそらせながら、にやついた。
「用と言うほどの用じゃないが、今夜の手はずも、まだ聞かないからな。」
「なに、手はずに変わりがあるものかね。集まるのは羅生門《らしょうもん》、刻限は亥《い》の上刻《じょうこく》――みんな昔から、きまっているとおりさ。」
老婆は、こう言って、わるがしこそうに、じろじろ、左右をみまわしたが、人通りのないのに安心したのかまた、厚いくちびるをちょいとなめて、
「家内の様子は、たいてい娘が探って来たそうだよ。それも、侍たちの中には、手のきくやつがいるまいという事さ。詳しい話は、今夜娘がするだろうがね。」
これを聞くと、太郎と言われた男は、日をよけた黄紙《きがみ》の扇の
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