かされながら、子供らしく顔を赤らめて、被衣《かずき》の中からのぞいている、沙金《しゃきん》の大きな黒い目を迎えた。
「今のやつを見た?」
沙金は、被衣《かずき》を開いて、汗ばんだ顔を見せながら、笑い笑い、問いかけた。
「見なくってさ。」
「あれはね。――まあここへかけましょう。」
二人は、石段の下の段に、肩をならべて、腰をおろした。幸い、ここには門の外に、ただ一本、細い幹をくねらした、赤松の影が落ちている。
「あれは、藤判官《とうほうがん》の所の侍なの。」
沙金は、石段の上に腰をおろすかおろさないのに、市女笠《いちめがさ》をぬいで、こう言った。小柄な、手足の動かし方に猫《ねこ》のような敏捷《びんしょう》さがある、中肉《ちゅうにく》の、二十五六の女である。顔は、恐ろしい野性と異常な美しさとが、一つになったとでもいうのであろう。狭い額とゆたかな頬《ほお》と、あざやかな歯とみだらなくちびると、鋭い目と鷹揚《おうよう》な眉《まゆ》と、――すべて、一つになり得そうもないものが、不思議にも一つになって、しかもそこに、爪《つめ》ばかりの無理もない。が、中でもみごとなのは、肩にかけた髪で、これは、日の光のかげんによると、黒い上につややかな青みが浮く。さながら、烏《からす》の羽根と違いがない。次郎は、いつ見ても変わらない女のなまめかしさを、むしろ憎いように感じたのである。
「そうして、お前さんの情人《おとこ》なんだろう。」
沙金は、目を細くして笑いながら、無邪気らしく、首をふった。
「あいつのばかと言ったら、ないのよ。わたしの言う事なら、なんでも、犬のようにきくじゃないの。おかげで、何もかも、すっかりわかってしまった。」
「何がさ。」
「何がって、藤判官《とうほうがん》の屋敷の様子がよ。そりゃひとかたならないおしゃべりなんでしょう。さっきなんぞは、このごろ、あすこで買った馬の話まで、話して聞かしたわ。――そうそう、あの馬は太郎さんに頼んで盗ませようかしら。陸奥出《みちのくで》の三才駒《さんさいごま》だっていうから、まんざらでもないわね。」
「そうだ。兄きなら、なんでもお前の御意《ぎょい》次第だから。」
「いやだわ。やきもちをやかれるのは、わたし大きらい。それも、太郎さんなんぞ、――そりゃはじめは、わたしのほうでも、少しはどうとか思ったけれど、今じゃもうなんでもないわ。」
「そ
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