自分は兄に対しても、嫉妬《しっと》をする。すまないとは思いながら、嫉妬をする。してみると、兄と自分との恋は、まるでちがう考えが、元になっているのではあるまいか。そうしてそのちがいが、よけい二人の仲を、悪くするのではあるまいか。………
 次郎は、ぼんやり往来をながめながら、こんな事をしみじみと考えた。すると、ちょうどその時である。突然、けたたましい笑い声が、まばゆい日の光を動かして、往来のどちらかから聞こえて来た。と思うと、かん高《だか》い女の声が、舌のまわらない男の声といっしょになって、人もなげに、みだらな冗談を言いかわして来る。次郎は、思わず扇を腰にさして、立ち上がった。
 が、柱の下をはなれて、まだ石段へ足をおろすかおろさないうちに、小路《こうじ》を南へ歩いて来た二人の男女《なんにょ》が、彼の前を通りかかった。
 男は、樺桜《かばざくら》の直垂《ひたたれ》に梨打《なしうち》の烏帽子《えぼし》をかけて、打ち出しの太刀《たち》を濶達《かったつ》に佩《は》いた、三十ばかりの年配で、どうやら酒に酔っているらしい。女は、白地にうす紫の模様のある衣《きぬ》を着て、市女笠《いちめがさ》に被衣《かずき》をかけているが、声と言い、物ごしと言い、紛れもない沙金《しゃきん》である。――次郎は、石段をおりながら、じっとくちびるをかんで、目をそらせた。が、二人とも、次郎には、目をかける様子がない。
「じゃよくって。きっと忘れちゃいやよ。」
「大丈夫だよ。おれがひきうけたからは、大船《おおぶね》に乗った気でいるがいい」
「だって、わたしのほうじゃ命がけなんですもの。このくらい、念を押さなくちゃしようがないわ。」
 男は赤ひげの少しある口を、咽《のど》まで見えるほど、あけて笑いながら、指で、ちょいと沙金の頬《ほお》を突っついた。
「おれのほうも、これで命がけさ。」
「うまく言っているわ。」
 二人は、寺の門の前を通りすぎて、さっき次郎が猪熊《いのくま》のばばと別れた辻《つじ》まで行くと、そこに足をとめたまましばらくは、人目も恥じず、ふざけ合っていたが、やがて、男は、振りかえり振りかえり、何かしきりにからかいながら、辻を東へ折れてしまう。女は、くびすをめぐらして、まだくすくす笑いながら、またこっちへ帰って来る。――次郎は、石段の下にたたずんで、うれしいのか情けないのか、わからないような感情に動
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