彼等夫婦の恋愛もなしに相抱いて暮らしていることに驚嘆していた。が、彼等はどう云う訣《わけ》か、恋人同志の相抱いて死んでしまったことに驚嘆している。

   作家所生の言葉

「振っている」「高等遊民」「露悪家」「月並み」等の言葉の文壇に行われるようになったのは夏目先生から始まっている。こう言う作家|所生《しょせい》の言葉は夏目先生以後にもない訣ではない。久米正雄君所生の「微苦笑」「強気弱気」などはその最たるものであろう。なお又「等、等、等」と書いたりするのも宇野浩二君所生のものである。我我は常に意識して帽子を脱いでいるものではない。のみならず時には意識的には敵とし、怪物とし、犬となすものにもいつか帽子を脱いでいるものである。或作家を罵《ののし》る文章の中にもその作家の作った言葉の出るのは必ずしも偶然ではないかも知れない。

   幼児

 我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である。

   又

 我我の恬然《てんぜん》と我我の愚を公にすることを恥じないのは幼い子供に対する時か、――或は、犬猫に対する時だけである。


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