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前掲の広告中、「里見君に非難を加えて下さい」と言ったのは勿論《もちろん》わたしの常談《じょうだん》であります。実際は非難を加えずともよろしい。わたしは或批評家の代表する一団の天才に敬服した余り、どうも多少ふだんよりも神経質になったようであります。同上
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前掲の追加広告中、「或批評家の代表する一団の天才に敬服した」と言うのは勿論反語と言うものであります。同上
芸術
画力は三百年、書力は五百年、文章の力は千古無窮とは王世貞《おうせいてい》の言う所である。しかし敦煌《とんこう》の発掘品等に徴すれば、書画は五百年を閲《けみ》した後にも依然として力を保っているらしい。のみならず文章も千古無窮に力を保つかどうかは疑問である。観念も時の支配の外に超然としていることの出来るものではない。我我の祖先は「神」と言う言葉に衣冠束帯の人物を髣髴《ほうふつ》していた。しかし我我は同じ言葉に髯《ひげ》の長い西洋人を髣髴している。これはひとり神に限らず、何ごとにも起り得るものと思わなければならぬ。
又
わたしはいつか東洲斎写楽《とうしゅうさいしゃ
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