ヘ社会主義者の正義であろう。彼処に房のついた長剣がある。あれは国家主義者の正義であろう。わたしはそう云う武器を見ながら、幾多の戦いを想像し、おのずから心悸《しんき》の高まることがある、しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執《と》りたいと思った記憶はない。
尊王
十七世紀の仏蘭西《フランス》の話である。或日 Duc de Bourgogne が 〔Abbe' Choisy〕 にこんなことを尋ねた。シャルル六世は気違いだった。その意味を婉曲《えんきょく》に伝える為には、何と云えば好いのであろう? アベは言下に返答した。「わたしならば唯《ただ》こう申します。シャルル六世は気違いだったと。」アベ・ショアズイはこの答を一生の冒険の中に数え、後のちまでも自慢にしていたそうである。
十七世紀の仏蘭西はこう云う逸話の残っている程、尊王の精神に富んでいたと云う。しかし二十世紀の日本も尊王の精神に富んでいることは当時の仏蘭西に劣らなそうである。まことに、――欣幸《きんこう》の至りに堪えない。
創作
芸術家は何時も意識的に彼の作品を作るのかも知れない。しかし作品そのものを
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