見れば、作品の美醜の一半は芸術家の意識を超越した神秘の世界に存している。一半? 或は大半と云っても好い。
我我は妙に問うに落ちず、語るに落ちるものである。我我の魂はおのずから作品に露《あらわ》るることを免れない。一刀一拝した古人の用意はこの無意識の境に対する畏怖《いふ》を語ってはいないであろうか?
創作は常に冒険である。所詮《しょせん》は人力を尽した後、天命に委《ま》かせるより仕方はない。
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少時学語苦難円 唯道工夫半未全
到老始知非力取 三分人事七分天
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趙甌北《ちょうおうほく》の「論詩」の七絶はこの間の消息を伝えたものであろう。芸術は妙に底の知れない凄《すご》みを帯びているものである。我我も金を欲しがらなければ、又名聞を好まなければ、最後に殆《ほとん》ど病的な創作熱に苦しまなければ、この無気味な芸術などと格闘する勇気は起らなかったかも知れない。
鑑賞
芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云わば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失わない作品は必ず種々の鑑賞
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