`の敵」と云わなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住《せんじゅ》から退去を命ぜられた。これも正義に反している。日本は新聞紙の伝える通り、――いや、日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい。
 武器それ自身は恐れるに足りない。恐れるのは武人の技倆《ぎりょう》である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家《せんどうか》の雄弁である。武后《ぶこう》は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躙《じゅうりん》した。しかし李敬業《りけいぎょう》の乱に当り、駱賓王《らくひんのう》の檄《げき》を読んだ時には色を失うことを免れなかった。「一抔土未乾 六尺孤安在」の双句は天成のデマゴオクを待たない限り、発し得ない名言だったからである。
 わたしは歴史を翻えす度に、遊就館を想《おも》うことを禁じ得ない。過去の廊下には薄暗い中にさまざまの正義が陳列してある。青竜刀に似ているのは儒教《じゅきょう》の教える正義であろう。騎士の槍《やり》に似ているのは基督教《キリストきょう》の教える正義であろう。此処に太い棍棒《こんぼう》がある。これ
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