墟のつくり」、第4水準2−88−74]

 我我は如何なる場合にも、我我の利益を擁護せぬものに「清き一票」を投ずる筈《はず》はない。この「我我の利益」の代りに「天下の利益」を置き換えるのは全共和制度の※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》である。この※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]だけはソヴィエットの治下にも消滅せぬものと思わなければならぬ。

   又

 一体になった二つの観念を採り、その接触点を吟味すれば、諸君は如何に多数の※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]に養われているかを発見するであろう。あらゆる成語はこの故に常に一つの問題である。

   又

 我我の社会に合理的外観を与えるものは実はその不合理の――その余りに甚しい不合理の為ではないであろうか?

   レニン

 わたしの最も驚いたのはレニンの余りに当り前の英雄だったことである。

   賭博

 偶然即ち神と闘うものは常に神秘的威厳に満ちている。賭博者《とばくしゃ》も亦この例に洩《も》れない。

   又

 古来賭博に熱中した厭世《えんせい》主義者のないことは如何に賭博の人生に酷似しているかを示すものである。

   又

 法律の賭博を禁ずるのは賭博に依《よ》る富の分配法そのものを非とする為ではない。実は唯《ただ》その経済的ディレッタンティズムを非とする為である。

   懐疑主義

 懐疑主義も一つの信念の上に、――疑うことは疑わぬと言う信念の上に立つものである。成程それは矛盾かも知れない。しかし懐疑主義は同時に又少しも信念の上に立たぬ哲学のあることをも疑うものである。

   正直

 若し正直になるとすれば、我我は忽《たちま》ち何びとも正直になられぬことを見出すであろう。この故に我我は正直になることに不安を感ぜずにはいられぬのである。

   虚偽

 わたしは或※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]つきを知っていた。彼女は誰よりも幸福だった。が、余りに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]の巧みだった為にほんとうのことを話している時さえ※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]をついているとしか思われなかった。それだけは確かに誰の目にも彼女の悲劇に違いなかった。

   又

 わたしも亦あらゆる芸術
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