片輪に敬服することもない訣《わけ》ではない。)

   「虹霓関」を見て

 男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。――ショウは「人と超人と」の中にこの事実を戯曲化した。しかしこれを戯曲化したものは必しもショウにはじまるのではない。わたくしは梅蘭芳《メイランファン》の「虹霓関《こうげいかん》」を見、支那にも既にこの事実に注目した戯曲家のあるのを知った。のみならず「戯考」は「虹霓関」の外にも、女の男を捉《とら》えるのに孫呉の兵機と剣戟《けんげき》とを用いた幾多の物語を伝えている。
「董家山《とうかざん》」の女主人公金蓮、「轅門斬子《えんもんざんし》」の女主人公桂英、「双鎖山《そうさざん》」の女主人公金定等は悉《ことごとく》こう言う女傑である。更に「馬上縁」の女主人公梨花を見れば彼女の愛する少年将軍を馬上に俘《とりこ》にするばかりではない。彼の妻にすまぬと言うのを無理に結婚してしまうのである。胡適《こてき》氏はわたしにこう言った。――「わたしは『四進士』を除きさえすれば、全京劇の価値を否定したい。」しかし是等の京劇は少くとも甚だ哲学的である。哲学者胡適氏はこの価値の前に多少氏の雷霆《らいてい》の怒を和げる訣《わけ》には行かないであろうか?

   経験

 経験ばかりにたよるのは消化力を考えずに食物ばかりにたよるものである。同時に又経験を徒《いたず》らにしない能力ばかりにたよるのもやはり食物を考えずに消化力ばかりにたよるものである。

   アキレス

 希臘《ギリシア》の英雄アキレスは踵《かかと》だけ不死身ではなかったそうである。――即ちアキレスを知る為にはアキレスの踵を知らなければならぬ。

   芸術家の幸福

 最も幸福な芸術家は晩年に名声を得る芸術家である。国木田独歩もそれを思えば、必しも不幸な芸術家ではない。

   好人物

 女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。

   又

 好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。第一に歓喜を語るのに好い。第二に不平を訴えるのに好い。第三に――いてもいないでも好い。

   罪

「その罪を憎んでその人を憎まず」とは必《かならず》しも行うに難いことではない。大抵の子は大抵の親にちゃんとこの格言を実行している。

   桃李

「桃李《とうり
前へ 次へ
全42ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング