返して参りました。
「すると興福寺の南大門《なんだいもん》の前で、思いがけなく顔を合せましたのは、同じ坊に住んで居った恵門《えもん》と申す法師でございます。それが恵印《えいん》に出会いますと、ふだんから片意地なげじげじ眉をちょいとひそめて、『御坊《ごぼう》には珍しい早起きでござるな。これは天気が変るかも知れませぬぞ。』と申しますから、こちらは得たり賢しと鼻を一ぱいににやつきながら、『いかにも天気ぐらいは変るかも知れませぬて。聞けばあの猿沢の池から三月三日には、竜が天上するとか申すではござらぬか。』と、したり顔に答えました。これを聞いた恵門は疑わしそうに、じろりと恵印の顔を睨《ね》めましたが、すぐに喉を鳴らしながらせせら笑って、『御坊は善い夢を見られたな。いやさ、竜の天上するなどと申す夢は吉兆じゃとか聞いた事がござる。』と、鉢《はち》の開《ひら》いた頭を聳《そびや》かせたまま、行きすぎようと致しましたが、恵印はまるで独り言のように、『はてさて、縁無き衆生《しゅじょう》は度《ど》し難しじゃ。』と、呟《つぶや》いた声でも聞えたのでございましょう。麻緒《あさお》の足駄《あしだ》の歯を※[#「て
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