くまっ赤なのでございます。そこで奈良の町のものが、これに諢名《あだな》をつけまして、鼻蔵《はなくら》――と申しますのは、元来大鼻の蔵人得業《くろうどとくごう》と呼ばれたのでございますが、それではちと長すぎると申しますので、やがて誰云うとなく鼻蔵人《はなくろうど》と申し囃《はや》しました。が、しばらく致しますと、それでもまだ長いと申しますので、さてこそ鼻蔵鼻蔵と、謡《うた》われるようになったのでございます。現に私も一両度、その頃奈良の興福寺《こうふくじ》の寺内で見かけた事がございますが、いかさま鼻蔵とでも譏《そし》られそうな、世にも見事な赤鼻の天狗鼻《てんぐばな》でございました。その鼻蔵の、鼻蔵人の、大鼻の蔵人得業の恵印法師《えいんほうし》が、ある夜の事、弟子もつれずにただ一人そっと猿沢《さるさわ》の池のほとりへ参りまして、あの采女柳《うねめやなぎ》の前の堤《つつみ》へ、『三月三日この池より竜昇らんずるなり』と筆太に書いた建札を、高々と一本打ちました。けれども恵印《えいん》は実の所、猿沢の池に竜などがほんとうに住んでいたかどうか、心得ていた訳ではございません。ましてその竜が三月三日に天上
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