。もし久保田万太郎君を第三の浅草の詩人とすれば、第二の浅草の詩人もない訣《わけ》ではない。谷崎潤一郎《たにざきじゆんいちらう》君もその一人《ひとり》である。室生犀星《むろふさいせい》君も亦《また》その一人である。が、僕はその外《ほか》にもう一人の詩人を数へたい。といふのは佐藤惣之助《さとうそうのすけ》君である。僕はもう四五年|前《まへ》、確か雑誌「サンエス」に佐藤君の書いた散文を読んだ。それは僅か数|頁《ペエジ》にオペラの楽屋を描《ゑが》いたスケツチだつた。が、キユウピツドに扮《ふん》した無数の少女の廻り梯子《ばしご》を下《くだ》る光景は如何《いか》にも溌剌《はつらつ》[#「溌剌」は底本では「溌刺」]としたものだつた。
第二の浅草の記憶は沢山《たくさん》ある。その最も古いものは砂文字《すなもじ》の婆さんの記憶かも知れない。婆さんはいつも五色《ごしき》の砂に白井権八《しらゐごんぱち》や小紫《こむらさき》を描《か》いた。砂の色は妙に曇つてゐたから、白井権八や小紫もやはりもの寂びた姿をしてゐた。それから長井兵助《ながゐひやうすけ》と称した。蝦蟇《がま》の脂《あぶら》を売る居合抜《ゐあひぬ》
前へ
次へ
全12ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング