る音がする。室生の庭には池の外《ほか》に流れなどは一つもある筈はない。僕は不思議に思つたから、「あの音は何だね?」と尋ねて見た。
「ああ、あれか、あれはあすこのつくばひへバケツの水をたらしてあるのだ。そら、あの竹の中へバケツを置いて、バケツの胴へ穴をあけて、その穴へ細い管《くだ》をさして……」
 室生は澄まして説明した。室生の金沢へ帰る時、僕へかたみに贈つたものはかういふ因縁《いんねん》のあるつくばひである。
 僕は室生に別れた後《のち》、全然さういふ風流と縁のない暮しをつづけてゐる。あの庭は少しも変つてゐない。庭の隅の枇杷《びは》の木は丁度《ちやうど》今寂しい花をつけてゐる。室生はいつ金沢からもう一度東京へ出て来るのかしら。

     三 キユウピツド

 浅草《あさくさ》といふ言葉は複雑である。たとへば芝《しば》とか麻布《あざぶ》とかいふ言葉は一つの観念を与へるのに過ぎない。しかし浅草といふ言葉は少くとも僕には三通《みとほ》りの観念を与へる言葉である。
 第一に浅草といひさへすれば僕の目の前に現れるのは大きい丹塗《にぬ》りの伽藍《がらん》である。或はあの伽藍を中心にした五重塔《ご
前へ 次へ
全12ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング